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なぜ、菓子屋を継いだのか

あなたは何で菓子屋をやってるの?

私、望月友晴、良く言われます。

「早大修士まで出て、なんで菓子屋なのの?」
「理系を極めたのに、なんで静岡で菓子屋をやってるの?」
「一流の会社に入ったのに、なんで菓子屋を継いだの?」
「キャリアを捨ててまで、なんで瀕死の菓子屋を継ごうと思ったの?」
「IT系の仕事から菓子屋への転身?なんでまた?」
・・・その他多数・・・

総括すると、「これまで頑張ってきて、普通の人が歩めない生活が待っているのに、『もったいない』」っておっしゃるんです。

学歴つけて、いい会社に入って、たくさん給料もらって、いい生活できるのに・・・。

でも・・・、

私から言わせると、『もったいない』は違うことなのです。

今、私が一番『もったいなかった』と思っていることは、

「東京の大学に行っている間中、父親と過ごす時間が取れなかった」

これに尽きます。

私の父親は修士1年の時の1月に亡くなりました。

父親は大学4年間を卒業したら、就職をしてもらいたかったようです。

でも私は、まだまだ未熟な気がして、大学院に進みたかった。

生前、それを正直に父親に話しました。

「友晴が行きたかったら、行ってもいいよ。でもきちんと卒業するんだよ。」

と最終的に賛成をしてくれました。

大学院に進んだはいいものの、勉強嫌いな私、大学院の勉強はきつかったです。

辛いし、興味は持てないし、態度が悪くて先生には怒られるし・・・。(古川教授、当時は大変ご迷惑をお掛けしました。(汗))

怒られると、興味は持てなくなって・・・、悪い方へ悪い方へスパイラルが起きてしまいます。

何度となく大学院を辞めようと思いました。

「ゴメン、大学院辞めてもいいかな?」と父親に相談しようかと思っている矢先・・・、

父親を病魔が襲いました。

肝臓ガンでした。

そんな状態で、「大学院辞めてもいい?」なんてとても言えませんでした。

言える訳ないじゃないですか。

結局、私のその思いは秘めたまま、父は逝きました。

父親を亡くした時・・・、

「これ以上を化学の研究をしたって、父親は生き返らない。」

その思いが私を覆いました。

すべてのことが、どうでも良くなりました。
自暴自棄になりました。

化学の研究なんて、どうでも良くなってしまい、
「東京の大学に行っている間中、父親と過ごす時間が取れなかった」
ことがとても悔やまれました。

でも、それと同時に、

「友晴が行きたかったら、行ってもいいよ。でもきちんと卒業するんだよ。」

という父の言葉が残りました。

『父との約束。これだけは成し遂げなくてはならない。』

その想いだけで、大学院を修了しました。

大学院を出た後、私は興味のあったIT系の仕事に進みました。

化学からは全く離れました。

興味は湧くし、面白い。

途中、関西に飛ばされることもありましたが、とても充実した生活を送れました。

関西に飛ばされた頃(飛ばされた頃も身に堪える経験をしましたが・・・(汗))、「人の本当の幸せって何だろう?」と考えることが多くなりました。

一生懸命仕事をして、体調を崩した上司が、今まで自分で稼いだお金で自分の体調を回復させて、仕事に戻り、一生懸命仕事をしているという現実を見ました。

私はこれは違うだろうと思いました。最初から仕事をしないほうが、もしくは収入が低くなっても体に負担を掛けない仕事を選んだ方が幸せだと思います。

また、その頃、私の兄(長男)が「建築の道」という進みたい道を決定しました。

ここで、私は悩みました。

・このままでは、何年か先に、実家の菓子屋が潰れる。

・実家には祖父・祖母・母親が残っている。

・今なら自分がやりたいように出来る自営業を選択できる。

・自営業ならば、普段頑張っていれば、必要な時に時間の融通が利く。

いろいろ悩みましたが、相対的に考えて、実家を継ぐことが一番幸せだと思いました。

その2ヶ月後には、退職願を出しました。

「なんで菓子屋なの?」

実は、このような事が複雑に絡み合っているんです。